プロフィール その5
忘れもしない高校3年の10月某日、私をお寺に連れて行ってくれた大好きな祖母が亡くなりました。
祖母は3年前に脳出血で倒れてから、ずっと寝たきりでした。
倒れたあと、意識は回復しましたが、身体が動かず、脳の言語中枢にも支障をきたしたため、言葉を発することができなくなりました。
祖母は長女で、貧しい家庭に生まれ育ったため、下のきょうだい達の面倒を見なければならず、小学校にも通えませんでしたので、字の読み書きができません。
字が読み書きできれば、文字盤などに指をさしてもらってコミュニケーションがとれたかもしれませんが、それも不可能でした。
運動中枢と言語中枢以外は異常がないので、意識はいつもはっきりしていました。
会いに行くと、目を合わせて口を動かしてくれるのですが、音にはならないので何を話したいのか聞き取ることはできません。
こちら側が表情で判断するしかありませんでした。
親孝行な母は、3年間毎日欠かさず、車で片道1時間かかる祖母の病院までお世話に通いました。
それはとてもとても大変そうでしたが、毎日自分の母親に会えるのは嬉しそうでもありました。
祖母が亡くなる5日前くらいの夜に、突然危篤の知らせが来ました。母は取り乱してすぐに病院に駆けつけました。私もかなり動揺して、自分の家にある、父方の祖父母がまつられている仏壇に向かって「まだ祖母を連れて行かないで下さい」と拝み続けました。
(今思えば、父方の祖父母にお願いするのはお門違いでしたが)
30分以上経った頃でしょうか。ふと「H先生ならこの事態をどう受け止めるのだろうか」と思い、H先生に電話をしました。
長くお寺に通っていた祖母のことをH先生もご存知でしたので、「どうしたら良いか」と泣き崩れる私にこうおっしゃって下さいました。
「〇〇さん(祖母の名字)は、いつもお寺に来て熱心にご法話を聞いてらっしゃったので、亡くなったあとはすぐに阿弥陀さまやご先祖さまが迎えに来て、迷わず西方浄土(=天国)へお帰りになれるでしょう。」
「残される私達は、別れがつらいけれども、お浄土に帰られるおばあちゃんや向こうの世界で待っているご先祖さま達には、おばあちゃんが亡くなることは『喜び』なのです。だから、安心して送り出してあげましょう。」
死ぬこと=苦ではなく、あちらの世界では、『祝福』であると知り、目から鱗が落ちました。
「お帰りなさい。あなたの人生、よく頑張ったね。」と、すでに亡くなっているご先祖さま達がねぎらいの言葉をかけてくれるなんて、素敵な世界だなと思いました。
そのH先生の言葉のおかげで、5日後、快く祖母を送り出すことができました。
そして、私自身、死ぬことが怖くなくなりました。