プロフィール その2
私の人生初のメンター(恩師、助言者、指導者)は、母親より少し年上の女性で、H先生と言いました。
小学4年生当時、地元の浄土真宗・本願寺派のお寺では、地域の子ども達に仏様の教えを広めようと『日曜学校』という課外活動のようなものを企画していました。
月1回程度、日曜日の10時から12時までお寺に集まります。まずは仏壇の前に座って30分ほど読経したあと、お坊さんのご法話、お坊さんへの質問コーナーが30分ほどありました。そのあとは12時くらいまで、皆でお菓子を食べたり、広いお堂を走り回って遊びました。
お坊さんの娘さんが私と同じ学校の4年生で、その子が中心となって仲間を集めていました。私はイトコの女の子2人と祖母に連れられてお寺に行きました。行ってみたら、知り合いの子ばかりで、すぐに皆と仲良くなりました。
いつも集まる仲間は女子ばかり10人弱で、読経やご法話の時間よりも、お菓子を食べられることや広いお堂で遊べることが楽しくて通うことになりました。
その場に、私達のお世話係として、お坊さんの補佐を勤める女性がいました。
それが、私の恩師であるH先生です。
H先生は、布教師という肩書で、月1回の日曜学校の時だけ、わざわざ隣町から来ていました。
普段はH先生も、自宅(お寺ではない団地の一角)で近所の子ども達を集めて、毎週のように『日曜学校』を開いていました。
年に数回、普段通うお寺の女の子達と、H先生の自宅に毎週のように通っている仲間達が交流する機会がありました。H先生のところに通っている子ども達は、年齢層も広く(小学1年生から中学生まで)、男の子もいたので、交流会はとても楽しかった記憶があります。
そんな『日曜学校』も、中学生になった途端、お坊さんの娘さんと学区が変わって会えなくなったこともあり、自然消滅的になくなりました。
当然、H先生とも会う機会がなくなってしまいました。
ところが、中学3年生の春に、私が転校したことで、またH先生と再会する機会に恵まれたのです。
〜つづく〜